「キューバ」と聞くと、酒好きは、ラム酒を思うでしょう。
音楽好きは、ブエナビスタ・ソシアルクラブの心地よさを思うでしょう。
ダンスの好きな人は、マンボにルンバにサルサを思い、
体を揺らせることでしょう。
野球好きは、WBCで見せた計り知れない強さを秘めたナインたちを
思い出すでしょう。
ハバナの葉巻を咥えて熱弁をふるうカストロやアルゼンチンの
革命家チェ・ゲバラの反骨に胸躍らせる人もいるでしょう。

カリブ海の小国キューバは、色々な色彩を持った一党独裁共産党、社会主義国家です。
アメリカからわずか150km南と云うキューバの位置が、国際的にも劇的な変転の歴史を
刻んできました。
150kmと云えば、東京と伊豆七島の新島辺りの距離で、反共の国アメリカにとって喉元にある
棘(とげ)のような不快感を、感じていたのでしょう。

カストロのキューバ革命(1959年)は、親米政権から奪い取った反米政権で、当時ソ連の絶大な援助を受け国力を伸ばしました。そして、なんとソ連製の最新核ミサイルまで配備したため、アメリカのケネディ大統領のストレスは最高潮に達しました。
1962年、世界の指導者たちは、いよいよ核戦争勃発かと固唾を飲んで米ソの動向を注視しました。
ソ連にとっての棘はトルコに配備されたアメリカのミサイルでしたので、ソ連のフルシチョフはそれを
引き上げるなら、キューバのミサイルも引き上げるという痛み分け案で最悪の事態を乗り切りました。
これが世に云うキューバ危機です。
その後、大スポンサーのソ連が崩壊して、アメリカの経済制裁は更に高まり、これでキューバの明るい
未来を描くことは到底できなくなりなりました。

石油の輸入は半減、GDPは3割減、窮乏のため、国民の体重は9キロも減ったと云われています。
アパートのエアコンは利かない、エレベータは動かない、バスは間引き運転になって、生活の仕方そのものを根底から変えなくてはなりません。
ただし、社会主義体制が出来ていて、食料、医療、学校などはすべて国家もちで、所得の格差もなく、
贅沢さえ云わなければ生きてゆける仕組みにはなっていました。
自転車で行ける範囲の小さい地域社会を作り、エネルギーも、食料も、自給自足、地産地消方式に変えてゆきました。
農薬や化学肥料を大量に使い、ガソリンエンジンを吹かして、走り回っていたトラクターを止めて、
牛を使い耕作し、ゴミ捨て場は一転、肥料生産の聖地になりました。
生ごみをミミズで肥料化し、牛の糞で堆肥を作り伝統的な無農薬の農業に変えてゆきました。

やむを得ず始めた「有機農業」でしたが、年を追うごとに洗練されてゆき、生産量も元の量に戻り
1998年頃には、世界が認めるオーガニック農業大国になりました。
冷戦時代のような世界の緊張も緩み、キューバの社会主義体制も少しずつ軟化して、一定以上の作物は、市場で売れるようになり、農民のやる気は高まりました。
ヨーロッパの有機認証機関にオーガニック認証を依頼し、付加価値を付けた農産物を、欧米に輸出できるようになりました。一般の農産物より40%近く高く売れて大いに助かりました。
富裕なアメリカ人が多く住むフロリダまで150kmという距離が今度は、有利になってきました。

強い個性で引っ張ってきたカストロは、1926年・昭和元年生まれで87歳です。高齢のため政権からは
外れ、実弟が代わって政権運営をしています。

本来、国が方向を定めて、本気で有機農業に取り組んでゆけば、キューバのように変わることはできると思いますが、日本の農林水産省は、既得権益がない有機農業には消極的で、日本がオーガニック大国になるのは簡単ではありません。
そうなると、消費者がオーガニック農産物を沢山買うようになることしか方法がありません。
子々孫々のためにもオーガニックを食べ、オーガニックを着るように変えてゆきましょう。

平成25年8月7日            日本オーガニックコットン流通機構
宮嵜道男