「沈黙の春」が出てから50年 もう一度読んでみませんか!

半世紀50年前はどんな時代?

今から50年まえの昭和37年、寅の年。(1962年)。
この年は、いくつもの歴史的な出来事が起きています。

時まさに米ソ冷戦時代で、アメリカの大統領ケネディーとソ連書記長フルシチョフの核戦争になるかどうかの瀬戸際、神経戦「キューバ危機」がありました。

堀江青年のヨットによる、単独・太平洋横断。
即席ラーメン「明星ラーメン」が発売。
映画女優マリリン・モンローが睡眠薬によるなぞの死。
映画では「アラビアのロレンス」や「007ドクターノオ」が、日本では、「キングコングとゴジラ」や「椿三十郎」が封切られ、相撲の方では、いつ見ても大鵬が勝ち続け、野球では、ジャイアンツが強く、背番号1番の王選手が一本足打法を始めています。

テレビ受信契約者数は1000万人の大台を超え、48.5%の普及を果たしています。
テレビを点けると植木等が無責任男ぶりで人気を博し、ザ・ピーナッツ「ふりむかないで」、石原裕次郎「赤いハンカチ」ジェリー藤尾「遠くに行きたい」が毎日のように見られました。

アメリカンポップスも入ってきて、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、弘田美枝子「ヴァケーション」がヒットしていました。
アメリカのエルビス・プレスリーやクリフ・リチャードが世界のポピュラー音楽を長く引っ張ってきていたその時、イギリスの異形なグループ「ビートルズ」がこの年にレコードデビューをしています。そしてその後の世界の音楽シーンをすっかり塗り替えてしまいました。

欧米諸国や日本でも経済が順調に成長し、「新しいものはいいものだ」という無邪気な前向き一辺倒の時代でした。

20世紀の中盤を過ぎた頃で科学・技術万能を固く信じた時代でした。必要なものは何でも化学合成して作り出せると技術者が熱狂していました。
農薬の事業も来るべき人口爆発に備えて、大量に生産されてゆきました。
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そんな時代、この年に、レイチェル・カーソンは化学農薬を弾劾する衝撃の本「沈黙の春」を出して、加熱する農薬業界に急ブレーキを掛けさせました。

レイチェル・カーソンは、1907年アメリカ・ペンシルベニアで生まれ、幼くして作家になることを目指していました。
海洋生物学者となり、「The sea around us:われらをめぐる海」「The edge of the Sea:海辺」、「Under the sea wind:潮風の下で」等、海の生物についての本を出して、ベストセラー作家を実現しました。

ある時、友人から手紙を受け、殺虫剤のDDTによって野鳥が死んでゆくという話を聞いて、それまで暖めていたこの環境問題の構想を本にまとめる意思が固まりました。
但し、この決断は姪や母との悲しい死別を乗り越えなければなりませんでした。
それから更に、自身に癌が見つかり、病魔との闘いながらの執筆でした。
事実関係を実証するため、膨大な資料と格闘して、身体はボロボロになりました。
そして4年後、今から50年前の激動の年1962年に出版が叶った訳です。

ところが、化学工業の業界からすると、とんでもない営業妨害の話で、レイチェルに圧力や訴訟などの脅しを掛けてきました。
一方、激励する人たちも多く、テレビ出演や国会の公聴会でも発言の機会が与えられ、とうとうケネディ大統領の指示で諮問委員会ができ、政府は農薬の安全性を重視する方向に舵が切られました。

年が経つにつれてこの本の主張の正しさが判り、「アメリカを変えた25冊」の中に加えられ、「20世紀の偉大な知性100人」の中にレイチェル・カーソンの名が刻み込まれました。

出版後のゴタゴタは、残された貴重な時間を容赦なく奪いました。
病気の進行は進みましたが、絶筆となった「センスオブワンダー:不思議さに驚嘆する感性」に大自然への愛情をすべて注ぎ込みました。(Sence of Wonder)

「沈黙の春」出版からわずか2年後の1964年春の日の4月14日、56歳の惜しまれる年齢で生涯を閉じました。

「センスオブワンダー」は完成しませんでしたが、熱心な友人たちがレイチェルの遺志を継いで出版に漕ぎ付かせました。

「センスオブワンダー」の本の中に私たちの人生を豊かにしてくれる一節があります。

知ることは感じることの半分も大切ではない

人智を超えた存在を注視し、畏れ、驚嘆する、そんな感性を持続する人は人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう。

地球の美しさについて深く思い巡らせる人は、生命の終わりの瞬間まで生き生きとした精神力を保ち続けることができるでしょう。

平成24年8月14日
日本オ-ガニックコットン流通機構
理事長  宮 嵜 道 男