一昨年、2011年3月11日に起きた東日本大地震で福島原子力発電所が致命的な事故を起こし、暴走して今日に至るも、解決できないでいます。この重大事故が起きた時、ニュースが連日事故の模様を伝える中で私は、「日本には、いつの間に54基もの原発があったのか」と目を見張りました。何とも恥ずかしい限りで、それまで日本の原発はせいぜい25基くらいかなと、思い込んでいたのでした。

1965年に東海原子力発電所が試験運転を始めて、1970年から、敦賀、美浜、福島原発が商業発電を開始してゆきました。その後1979年にアメリカのスリーマイル島の原発事故があって、1986年にはソ連のチェルノブイリ原発が壊滅的な事故を起こしました。

日本でも1999年には東海村原子力発電所で臨界事故を起こしています。その頃から原発の新設は減ってゆきました。2003年頃から泊、玄海、伊方、福島3号機、高浜と新設され現在に至ります。

思い込んでいた25基の頃というと1984年頃のことで、それから13年間は、建設ラッシュの時期で、一気に増えて1997年には48基にもなっていました。

イギリスの作家であり、科学者のジェームズ・ラブロックが、素晴らしいガイア理論を提唱し、その後、地球温暖化を止めるためには原子力発電を進めるべきだという衝撃的な論説が出され、違和感を持ちながら、そんなものかと納得してしまいました。

日本の原子力技術は世界に誇れる水準で、安全に運転されているものだと思い込み、関心も薄れてゆきました。

1945年8月6日に広島にウラン型原爆が、3日後の9日には長崎にプルトニウム型の原爆が落とされました。それから10年後1955年に政府は原子力基本法を成立させ、本格的に原子力発電に着手してゆきました。

日本人にはあの原子爆弾への恐怖から、原子力発電にも嫌悪感があり、政府はこれを無くしてゆくためのイメージチェンジ作戦を行ってゆきました。

1951年、手塚治虫は、鉄腕アトムの連載を始め、1963年からテレビアニメとして放映され始めました。符合するように、同じ1963年の年には、茨城県東海村原発の発電の成功に沸きました。

原発の発電成功も鉄腕アトムの物語も明るい未来を思わせました。

鉄腕アトムは子供たちに大人気で、無邪気にアトム、ウランちゃん、コバルト君、プルート(プルトニウム)とキャラクターに親しんでいきました。

アトムは、原子の子で10万馬力の力で事件を解決してゆくヒーロ―として描かれています。

いつの間にか、多くの日本人が原子力エネルギーを容認するようになりました。更にそこには、日本の技術への信仰に近い信頼がありました。

放射性廃棄物の処分の問題や高速増殖炉もんじゅの事故などの不安はあったものの、何事も  いい方へ考える癖がついて、根拠もないのに、うまくゆくと思い込んできました。

「メルトダウン事故」などと最悪の事を口にすること自体、縁起でもないと日本人は考えてしまう癖があるのです。

このように、人は、一旦思い込むと、改めて見直す気持ちはなかなか湧いてきません。一方、政治の本音は、国民の安全よりも、経済界の利害を優先させることが多く、はじめから結論ありきで、世論を操作することが行われます。

一般の国民は、マスコミを通じてしか情報を得ることが出来ませんので、マスコミが意図的に一定方向に誘導し、世論調査を繰り返し、「常識」として定着させてゆくという手法を使い、簡単に国民を引っ張ってゆきます。

東日本大震災そして福島原発事故は、大変大きな犠牲を蒙りましたが、長い長い日本の未来にとって、大変貴重な転換のきっかけにもなりました。計り知れない多くの犠牲を決して無駄にはできません。

この事故の教訓をしっかりと認識する必要があります。

本当に、もしもこの事故がなかったら、更に原発が増殖して行っただろう思うとぞっとします。

平成25年8月26日        日本オーガニックコットン流通機構

宮嵜道男